[お知らせ]


2014年12月4日木曜日

僕たちの医療 〜正しい医療とは何か〜

先日、僕の母校、城西大学のサークルで「」さんが主宰した濁流賞という文学賞に、あるトピックを投稿させていただきました。城西大学広報委員会さんのツイッターを拝見し、そのような取り組みがあると知りまして、応募してみることにしました。卒業生にも関わらず、参加させていただき、誠にありがとうございました。

「濁流賞」は十数年前まで行われていた、城西大学「ものを書く会」さん主催の文学賞とのことで、僕が学生時代はおそらく開催されていたんだろうと思います。ものを書く、すなわち言語化するということは、自分の思考の中に存在する、まだ未熟な概念をはっきりとした形に編み上げる、そのようなプロセスではないかと考えています。

なお次回の「濁流賞」は平成27720日(月)必着とのことです。城西大学学内限定とのことで、応募資格は以下の通りです。

【応募資格】
城西大学又は城西短期大学に所属する学生及び職員(院生含む)
※城西大学卒業生及び城西短期大学卒業生も応募可能(院卒業生含む)
詳細はこちらを!濁流賞について

 今回投稿させていただいたトピックは、おかげさまで濁流賞に入賞いたしました。常日頃から僕がなんとなく感じていたこと、薬剤師として医療にかかわる中で、ぼんやりとしたイメージを紡ぎながら、文章として編み上げてみました。
 学術的な厳密性というのを僕は仕事がら大事にしておりますが、今回のテーマはいわゆるビックピクチャーです。風邪薬から漢方薬、そして奈良時代の日本から、18世紀のイギリスまで話が飛んでいきますから、もう“触れていないこと”に対する学術的厳密性を求めていけば、いくらでも反論することはできるのでしょう。そのようなご指摘はごもっともなんですが、少し全体を俯瞰しながら、今の医療とは何か、そんな感じで、ざっくりと読んでいただけたらと思います。
 以下に、全文を掲載いたします。ご無理なお願いにも関わらず快く転載許可をしてくださった「ものを書く会」の部員の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。


僕たちの医療 正しい医療とは何か

風邪には総合感冒薬か葛根湯か

 僕たちは、例えば風邪をひいたら、風邪薬を飲もう、とかひどくなる前に病院へ行ってお医者さんに薬をもらおうと思います。こういった考え方は現代の日本人においては全く常識的な行動だと思います。確かに、中には気合で治す!なんて方もいらっしゃると思いますが、小さなお子さんを持つ親御さんの気持ちになれば、やはり何かあってはいけないから念の為にも小児科を受診しよう、というのはごくごく当たり前の考え方だと思います。

 風邪薬にもいろいろあるかと思います。市販の薬では総合感冒薬や漢方薬も手に入ります。テレビの宣伝では効いたよね、早めの風邪薬なんてフレズで、風邪をひいたら早めに薬を飲めば、ひどくならずにすむ、というようなイメジを発信しています。中には総合感冒薬は全然効かない、漢方のほうが効くんだという人もいて、葛根湯を選ぶ人もいるかもしれません。

 漢方薬とはそもそも古代中国における経験的医療の体系を日本風にアレンジした医学体系で、17世紀ごろに大きく発展し日本の医療に組み込まれ、西洋医学の蘭方に対するものとして位置づけられました。

 葛根湯は漢方薬の中でも代表的なもので、皆さんももしかしたら名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれません。葛根(カッコン)という生薬を中心に7種類の生薬エキスを配合したもので、カゼのひき始めでゾクゾク寒気がするとき、また、頭痛や肩こり、筋肉痛、じん麻疹などにも用います。漢方薬は市販薬として入手できるだけではなく、日本では、医療用医薬品として健康保険を使って医師も処方することができます。総合感冒薬は歴史的に見れば西洋医学体系を踏襲した病態生理学理論に基づいた医薬品と言えましょうし、葛根湯は日本古来の経験に基づく医学体系を踏襲した医薬品と言えましょう。風邪に対する薬物治療としてどちらが効果があるのか、すなわち正しい選択と言えるのでしょうか。

 市販の総合感冒薬と葛根湯どちらが効果的か、風邪への効果を検討した臨床試験が行われています。1)臨床試験とは難しい言葉ですが、簡単に言えば薬の効果を人で検討した試験研究とでも言いましょうか。ここではその意味についてあまり深く考えず、話を先に進めます。

 この試験の内容は、風邪の症状で病院を受診した1865歳の患者さん340人に対して、葛根湯を飲む人と総合感冒薬を飲む人を全くでたらめに(ランダムに)決めます。そしてこの試験開始からの5日間の風邪症状の悪化を点数で示して比較するという試験です。このような試験をランダム化比較試験といい、薬の効果を検討する際にはよく用いられる研究手法です。この試験では葛根湯を飲んだ人は168人、総合感冒薬を飲んだ人は172人でした。では結果はどうだったのでしょう。

5日以内に風邪症状が悪化したのは、葛根湯を飲んだ人では168人中38(22.6)で、総合感冒薬を飲んだ人では172人中43(25.0%)でした。実はこの結果22.6%と25.0%にはごくわずかな差しかありません。数学が得意な方はお分かりかもしれませんが、この差に統計的に意味のある(有意差)はありませんでした。(P=0.66)早めに総合感冒薬を飲もうが、葛根湯を飲もうが約1/4の人は風邪が悪化しますし、 この2つの治療に大きな差はないという事が示されています。

経験的医療に基づいた漢方製剤と病態生理学的知見に基づいた総合感冒薬は臨床的な観点から効果を比較して見ると、著名な差があるわけではないというのは大変興味深い示唆だと思います。漢方薬、総合感冒薬、どちらが正しい医療なのかと考えたときに、一つの構造が見え隠れします。天然痘というウイルス感染症を例にその構造を垣間見てみましょう。

聖武天皇と天然痘

735(天平7年)8月、時は奈良時代、九州は大宰府において疫病が流行していました。続日本記には豆瘡、俗に裳瘡というと記されていて、現在で言う天然痘の流行です。天然痘は天然痘ウイルスによる感染症で伝染性が強く死に至ることもある疾患です。現在では天然痘ワクチンの接種の普及でWHO 19805月に天然痘の世界根絶宣言を行っています。以降これまでに世界中で天然痘患者の発生はないとされています。

さて話を奈良時代の日本に戻します。九州から流行し始めた天然痘はやがて山陰、山陽道を東上し、首都奈良の平城京を襲います。時の天皇、聖武天皇の皇子である、新田部親王、舎人親王も相次いで死去しました。 737年には、政権を主導していた藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂の四兄弟が相次いで死去してしまいます。2)

藤原広嗣の乱や長屋王の変など当時の政治事情ももちろんあるかと思いますが、このような天然痘流行による危機状況を打開するために聖武天皇は仏教による政情安定を図ろうとします。その一つが国ごとの国分寺・国分尼寺の建立という国家的プロジェクトです。仏教を通じて災いのない世界を作り上げたい、そんな理念がこのプロジェクトには込められています。災いとは天然痘などの感染症も含まれていたことは言うに及ばないでしょう。すなわち、疾病などに対する公衆衛生プロジェクトの一環として国分寺・国分尼寺建立プロジェクトが推進されてきた歴史があります。当時の人々の常識からすれば感染症という疾患の流行とは災いの一つであり、それに対して宗教的観点から仏の力でそれを抑え込もうという事が常識に登録されていたわけです。

エドワ―ド・ジェンナ―と天然痘

エドワ―ド・ジェンナ―(17491823)はイギリスの医師で、18世紀初頭、世界的に流行していた天然痘に対する予防法を考案し、実行した人であり、天然痘撲滅の礎を築いた人でもあります。当時、天然痘にかかって死を免れた人は二度と天然痘にかからないという事が分かっていました。そのため天然痘患者から採取した水痘の汁を健常人へ摂取する人痘接種なるものが行われていましたが、当然ながら単に天然痘を伝染させているだけであり、全く予防効果はありませんでした。ジェンナ―はもっと安全な予防法はないか思案します。彼は酪農場で働く女性たちが感染する牛痘(牛の天然痘で罹患しても軽症)にかかることがあり、さらに牛痘にかかった女性は天然痘が流行しても感染しないという事実に注目します。観察に基づくデ―タからジェンナ―はある仮説を立てます。感染した女性の牛痘部分から分泌物を採取し、ジェ―ムズ・フィリップスという8歳の子供に接種します。そしてこの子は以後天然痘にかかることはありませんでした。そしてこの事実がその後、全世界の何百万という人々を天然痘から守ったことにつながったのです。
 
当時、天然痘はその原因ウイルスや疾患自体の病態生理は全く分かっていませんでした(これはもちろん聖武天皇の治世、奈良時代の日本でも同様です)が、ジェンナ―は観察デ―タをもとに予防対策を実行したのです。現在では天然痘はウイルス感染による感染症であり、ワクチン接種によりその免疫が獲得され病気にかかりにくくなるという事が理論的に解明されていますが、疾患の原因や発生メカニズムが分からなくても予防は可能だということを、ジェンナ―は証明しました。

 1967WHOは天然痘撲滅のための世界的プログラムを実施し、1980年ついに天然痘はこの世から根絶されました。

常識とは何か

今見てきたように、現在の僕らの常識的価値観というものを全く排除したときに、聖武天皇の施策とエドワ―ド・ジェンナ―の取り組み、どちらが正しいのでしょうか。結果的に見れば、天然痘根絶の礎を築いた人として、ジェンナ―に軍配が上がるかもしれません。しかしながらそれは今を生きる僕らの考え方・価値観に過ぎません。奈良時代の人々にとって災い(≒天然痘)は仏の力で封じ込めるという事が常識に登録されており、皆がそれを信じ、巨額のお金と労力が国分寺・国分尼寺建立に費やされます。流行が終息すればやはり仏の力のおかげなんだとみな安心し、安らかな日々を取り戻すことになります。

物の見方や感じ方あるいは考え方を基本的なところで決定している認識は僕らが属している集団における関心や価値観にほかなりません。常識登録されるための条件は、その物事が客観的に正しいかどうかというよりはむしろ、その認識がより多くの人に共有されているかどうかという事です。奈良時代の人々に共有されていた認識とは災いは仏の力によって抑えることができるという宗教的価値観です。疾病に対する治療において、そういった価値観に焦点が当てられていたのが当時の思想にほかなりません。

一方、エドワ―ド・ジェンナ―はどのようなメカニズムで天然痘が起こるのかはよくわからないけれども、牛痘に感染した人は、牛痘に感染しなかった人に比べて天然痘にかかりにくいという事実に基づき予防法を考えました。これはやや専門用語でいえば疫学的考察により疾患と向き合っています。その後ウイルスが同定され、ワクチンが開発され病態生理学的にも解明が進み、天然痘撲滅へと至りました。

カルチャ―ショックにみる常識の構造

僕らが生きているこの時代、この場所において全く常識と思われるような行動は、地球の裏側に行けば全く奇異な行動に見られるという事も十分あり得ます。海外旅行でカルチャ―ショックを受けたよなんてこともありますよね。文化や思想が違えば常識というのはその人が所属する社会や組織で大きく異なり、どちらが正しいなんてことはありません。
僕らが常識的に正しいと感じている医療や薬物治療だって、例えばアフリカの先住民族が伝統的に用いる民間療法を正しいと信じている人にとっては異常なことに見えるでしょう。ある薬物治療が効果があると信じているという構造は、この現代日本の医療においても実は不変です。実際に例を少し上げてみましょう。

病態生理学的仮説と臨床効果のギャップ

薬物治療において薬の効果の概念は大きく2つあります。たとえば糖尿病の治療を考えてみてください。糖尿病とは血液中の糖の数値(血糖値)が健康な人と比べて高い状態です。ですので、高い血糖値を薬で下げることができれば治療と言えそうです。しかし、血糖を下げただけで、結局治療しない場合と寿命が変わらないとしたら、あなたは治療を受けたいと思いますか?大事なのは高い血糖値を下げたとして、どのくらい寿命が延びたか、という事なのです。この場合血糖値が下がったというのを代用のアウトカムといい、寿命が延びたというのを真のアウトカムと言います。アウトカムとは薬を飲んだその後の成り行き、のような意味で使うことが多いです。

現在2型糖尿病の治療目標はHbA1c(ヘモグロビン・エイワンシ―:過去12ヵ月の血糖の平均値を反映する臨床検査値)血糖正常化を目指す際の目標値6.0%合併症予防のための目標値7.0%治療効果が困難な際の目標値8.0%の3段階に分けられています。3)
 6.0%未満は低血糖などの副作用なく達成可能な場合の治療目標とされ、糖尿病発症早期ではこのような目標値が設定されることが多いと思います。

2型糖尿病の治療においてHbA1cはその人の血糖コントロ―ル状態を反映する数値として有用ですが、これは薬物治療の効果の2つの概念からいうと代用のアウトカムです。2型糖尿病では、末梢神経障害、腎障害、網膜症の3大合併症に加えて、動脈硬化進展からの心筋梗塞などの合併症、寿命が延びたか、という事が真のアウトカムと言えることは先に述べた通りです。ではHbA1c 6.0%と8.0%ではどちらがより健康的かと考えたときに、常識的には血糖が高い状態を示すHbA1cが高いほうが不健康であり、治療が必要といえますよね。これは2型糖尿病という病態生理学的観点から推察した仮説に過ぎないという事は実はとても重要です。実際にHbA1c6.0%と8.0%の状態を比較して、その後の合併症の発症を検討した臨床試験があります。4)

この試験は平均で62歳前後の2型糖尿病患者さんを約10000人集めてきて、HbA1c6%未満を目指す、厳しく治療をする人たちとHbA1c7.07.9%を目指す緩く治療する人たちにランダムに2群に分けます。
試験開始から3年半後、糖尿病の合併症は2つのグル―プでその発生率に明確な差がでず、驚くべきことに厳しく治療をする人たちでは、緩く治療する人たちに比べて死亡が22%多い傾向にあるという結果でした。この試験はACCORD試験といわれ、糖尿病治療の常識を覆す試験となりました。

その後の研究でも厳しく血糖値をコントロールしても死亡を明確に減らすかどうかは分からないという結果が示されています。5)それにもかかわらず、糖尿病治療においては HbA1cはなるべく低いほうがいいという事が現実には常識に登録されています。

このように常識的には血糖値を薬や食事で厳しくコントロ―ルしたほうが健康的であると信じられていたとしても、実際にはそうではないかもしれないという事が浮き彫りになるのです。いくら病態生理学的に常識的な治療でも、その科学的根拠臨床試験が示すような実際の薬の効果の根拠を失った時、それはむしろ、天然痘に対して聖武天皇が行った宗教的施策と同様の構造のように思えます。現実の観察に基づき医療介入効果を検討したエドワ―ド・ジェンナ―の疫学的思考とは大きく異なります。しかしながら現代の日本の医療、特に薬物治療はこの糖尿病の事例以外にも、似たようギャップを数多く孕んでいます。

冒頭、風邪に対する2つの薬物治療を紹介しました。総合感冒薬の治療は病態生理学に基づくものです。実は風邪に対して無治療と比較した総合感冒薬のランダム化比較試験(疫学的検討)はほとんどありません。(※注1)要するに風邪の引き初めに総合感冒薬を飲めば早く治るなどという効果はよくわかっていないのです。風邪に対して解熱剤を使うと治癒期間は長い傾向にあるという報告すらあります。6)それにもかかわらず、多くの人たちが風邪をひいたら風邪薬を飲もう考えるのです。

また葛根湯は経験的医療体系に基づくものです(※注2)。その効果が実際にどの程度のものなのか、証明した報告はやはり少なく、冒頭紹介した研究結果に基づけば、総合感冒薬と概ね同等と言えそうです。しかしながら、そのいずれを選んでも、効果を実感できる人、その医療に満足する人も数多くいるという事も現実としてあり、多くの場合で現代の日本の医療とはこのような構造の上に成立しています。

経験的な医療、病態生理学的知見に基づいた医療、臨床試験の結果に基づいた医療、何が正しい医療なのか、僕にはいまだその答えが出ていません。ただ一つ言えるのは、正しい医療など存在しない、正しいかどうかは、その社会的思想や価値観、すなわち医療に対する常識が決めるという事です。

[参考文献]
1) Intern Med. 2014;53(9):949-56. Epub 2014 May 1. PMID: 24785885
2)日本の歴史04 平城京と木簡の世紀 講談社学術文庫 講談社2001
3)日本糖尿病学会「糖尿病治療ガイド2012-2013 血糖コントロ―ル目標改訂版」
4) N Engl J Med. 2008 Jun 12;358(24):2545-59 PMID:18539917
5) BMJ. 2011 Nov 24;343:d6898. PMID:22115901
6)Intern Med. 2007;46(15):1179-86. Epub 2007 Aug 2. PubMed PMID: 17675766

(※注1)
決して臨床試験が無いわけではありません。(BMC Infect Dis.2013 Nov 22;13(1):556 PMID:24261438)で報告されているようなRCTもあります。しかしながら、複数の研究を見渡せば、(Cochrane Database Syst Rev.2012 Feb 15;2:CD004976 PMID:22336807Cochrane Database Syst Rev. 2012 Aug 15;8:CD001831. PMID: 22895922等)その効果はわずかであるか、もしくはばらつきも多く、著明な効果を期待できるとは言えません。

(※注2)
異論もあるかとは思いますが、臨床疫学統計学的知見に基づく体系との相対的な意味においての経験的な医療ということです。


「僕たちの医療 正しい医療とは何か」は平成26年に開催された濁流賞にて入賞し、城西大学「ものを書く会」が発行する部誌「再灌流」に掲載されました。ブログ掲載記事は城西大学「ものを書く会」の許可を得て転載したものです。なお転載にあたり注釈を付け加え、引用文献は、参考文献として本文末にまとめました。

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