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2014年8月29日金曜日

疫学のススメ

[疫学の魅力]
疫学と言うのはあまり聞きなれない言葉ではあります。一言で言えば「ヒトの集団における健康状態とそれに関連する要因の分布を明らかにする学問」と言えそうです。薬学部カリキュラムでは僕らの時代(4年生薬学部)は主に衛生薬学分野の公衆衛生学の一部として学んだはずなのですが、卒後に継続的に学ぶような機会もなく、その重要性は臨床疫学を学問的基盤としたEBMと出会うまでよく分かりませんでした。

疫学の歴史として最初に取り上げられるのがジョン・スノウとコレラの話かもしれません。世界初の疫学調査とも言われているジョン・スノウがとった対策は1852年のロンドンでコレラ流行の際、コレラ死亡者数を減少させたと言われています。


               (ジョン・スノウ)

スノウはコレラで死亡した患者の居住地を地図上にプロットしていきます。そして患者がある特定の井戸の周囲に集中していることを発見しました。そしてこの井戸を封鎖したところ患者が減少したのです。そして、ロンドンに水を供給している2つの水道会社を比較し、一方の水道会社から供給される水が危険因子であることも指摘しました。この2つの水道会社はテムズ川の水を水源としていましたが、一方は上流から、もう一方は下流から水を取水していました。当然ながらロンドン市民のし尿は、当時そのままテムズ川に垂れ流されていました。

このジョン・スノウは、観察によって原因を推定し、データを集めて分析することで因果関係を類推するという手法を用いてコレラの感染拡大を防いだのです。驚くべきはコレラ菌がコッホにより発見されるのは1883年であり、スノウが対策をとった30年もあとになってからなのです。このことが示唆する疫学的思考の大事なポイントは疾患の発生メカニズムが分からなくても暴露と疾患発生の関連が明らかであれば予防は可能だということです。

疫学では暴露と疾患発生の関連に注目しますが、その過程についてはあまり重視していません。もちろんメカニズムが分かっていた方が因果関係を類推するのに強力な補助線となりますが(後述)、疫学的手法を用いれば、メカニズムを解明しなくても関連の強弱を論じることができるのです。

[疫学的手法]
曝露と疾患の発生の関連を検討する際に用いる疫学的手法は大きく6種類です。(分類は恣意的です。教科書などによりばらつきがあるかもしれませんが、僕は6つに整理しておこうと思います)簡単にまとめると以下のような感じです。(簡単すぎて怒られそうですが…。)


研究手法
ポイント
記述疫学
疾患頻度(暴露を考慮しない)の状況
生態学的研究
集団暴露と疾患頻度(関連の推定)
横断研究
一時点(時間の考慮なし)の疾患頻度と暴露の状況
コホート研究
時間を考慮した疾患頻度と暴露の関連
(関連の強さを検討できる)
症例対照研究
介入研究

各研究の詳細はもはやここでは述べませんが(コホート研究症例対照研究は過去記事参照)各手法にはそれぞれ利点と欠点があって、EBM実践においてよく取り上げられるようなエビデンスレベルみたいなものは、僕自身ではあまり意識していません。例えば疾患発生の妥当性は症例対照研究で優れていますし、暴露情報の妥当性はコホート研究で優れています。

疾患頻度に応じてコホートか症例対照研究の選択を迫られる際には記述疫学データが必須となりますし、環境汚染などの暴露のように個人を解析することが難しい場合は生態学的研究を用いるわけです。

ランダム化比較試験のような介入研究は暴露と疾患発生の関連を調べるうえで強力な手法と言えますが、明らかな関連が期待できない場合は、コストの面から研究を進めることができず、明らかな関連がある場合には、倫理的に研究ができないというジレンマを抱えています。

[疫学の強み]
医薬品とその人に対する安全性有効性の因果関係を決定づけることは並大抵のことではありません。しつこいようですが、その関連を検討する際に強力な武器となるのが疫学的手法です。以下は薬剤使用とその有害事象の因果関係を類推する手順として僕が考慮に入れる項目をまとめたものです。因果関係の推定に関しては疫学の教科書にその詳細が記載されており、以下はあくまで私見です。

薬剤曝露と有害事象との間に関連性があるか?

①臨床的観察(症例報告や記述疫学)から関連性が疑われる
②疫学的検討
・症例対照研究
・コホート研究
・倫理的に可能であればランダム化比較試験(益をもたらすと思われる要因のみ)

コントロール群に対する薬剤群のハザード比やオッズ比等の相対リスク指標から関連性の強さを検討する。関連性が強い場合にはその関連性に因果関係があるのか推論する。

薬剤曝露と有害事象との間に因果関係があるか?

①疫学的考察関連の強さ
(関連が強いほど因果関係である可能性多高くなる。但し、バイアス、交絡に注意。あくまで関連の強さを検討する際に有用であり、因果関係を決定づけるものではない。研究精度はもとより研究妥当性の考慮を忘れてはならない)

②薬物動態学的考察時間的関係、量-反応関係暴露(介入)停止の効果
(血中濃度の変動や、投与中止、用量増減により関連性が相関するのであれば因果関係である可能性は高くなる)

③病態生理学的・薬理学的考察生物学的妥当性
(観察された関連が生物学的知識と矛盾しないか≒基礎研究の結果との一致があれば因果関係である可能性は高くなる)

④化学構造的考察他の知見との一致
(類似化合物でも同様の関連が認められる場合、因果関係である可能性は高くなる)

急性の中毒症状を除けば関連の強さを具体的な数値で定量的に検討できるのは疫学的考察のみであり、他の学問的考察からは関連の強さを評価することは困難です。関連が低ければ、そもそも因果関係を論じることが難しくなります。薬物動態、病態生理、薬理学、有機化学などはいずれも因果関係である可能性を検討する際に必須の学問ではありますが、関連性の強弱を具体的な数値で評価できるものではありません。

以上のようなことは何も薬の副作用に限った話ではありません。生活習慣と疾患発生、薬剤服用と寿命、健康診断等のスクリーニングと寿命、疾患と寿命など、疫学は様々な「暴露(あるいは介入)」と「予後」の関連を検討することができるのです。

[現実世界での疫学の活用]
2011年東日本大震災において原子力発電所の事故で放射線に被曝した住民と健康影響に関して、いまだネット上では様々な情報が飛び交っています。癌が増えたなどと言うのは、ある程度年月を経ないとよく分からないということしか言えません。ネット上で飛び交う情報に関して因果関係を決定づけるような根拠は現時点で存在しません。また関連の強さを検討したデータも存在しません。


今やるべきは、憶測により様々な情報をむやみに発信することではなく、住民の放射線曝露状況の正確な把握とその追跡方法の確立に他なりません。いずれ癌で死ぬ人は出てくるでしょう。(当たり前ですが、日本人死亡原因約30悪性腫瘍です)その人数が原発事故による放射線曝露の有無で通常よりも多いのかどうか比較検討する(関連の強さを検討する)ことが大事なのです。

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