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2014年6月24日火曜日

医薬分業という思想を生きる

医薬分業とともに生きる薬剤師という職種をやや鳥瞰的にみてみたい。そんな風に思います。

[医薬分業の理念はわが国では存在しない]
医薬分業は1240年にシチリア島の皇帝フリードリッヒ2世が、薬事に関する2つの法律、すなわち「医薬分業」と「薬事監視」を定めたことから始まるとされています。暗殺を恐れたフリードリッヒ2世が、処方箋を医師に書かせ、薬は医師の知らない薬剤師に調剤させて毒薬が紛れ込んでいないかをチェックするというシステム構築が目的でした。
日本においては明治以前まで、漢方医学とオランダ医学による「医薬兼業」の形をとっていたので、医薬分業の思想がなかったと言えます。日本の医療は医薬兼業であり、調剤は医師によりなされていることがほとんどだろうと思います。1870年ごろにドイツ医学が導入されたことにより、同時に医薬分業思想がもたらされました。欧米列強並みの世界標準策、すなわち富国強兵策をとらざるを得ない国内外の情勢の中、世界標準の医療を目指すために医薬分業というシステムの導入も当然ながら検討されました。1889年には「薬品営業並薬品取扱規則(薬律)」が成立し、薬舗を薬局、薬舗主を薬剤師と改称し、薬剤師制度や薬局制度を規定しました。しかしながら当初、医薬分業がそれほど進展しなかったのはやはり日本古来の医療という明治以前の思想が支配していたからに他ならないといえます。
1974年に診療報酬改定で、処方せん料が100円から500円に引き上げられたという、経済的利権が後押しして医薬分業は急速に浸透していきました。この世代の薬剤師が全力で医薬分業を進めてきた背景には経済的利権が占める割合が多く、日本においては医薬分業思想における薬剤師のあり方という独自の理念があったわけではないという事がいえます。医薬分業という思想を独自のアイデンティティーもないまま、その実現だけに傾倒してきたわけです。

[医薬分業世代の薬剤師]
僕らの世代はそういった背景により医薬分業がほぼ常識に登録された世代を生きています。そこに実は明確な理念が無いという事を知らないまま、なんとなく薬剤師のあり様を医薬分業という思想のもとに後付けの理由をこさえているわけなのですが、実際のところ、医薬分業における薬剤師の存在意義など、日本古来の思想には見つかりそうもありません。僕自身、薬剤師の存在意義は薬剤師法第1条に明確に規定されているじゃないか、と考えていたこともありましたが、我が国における医薬分業そのものの由来を振り返った時に、その考えがあっさり無に帰すという事が分かりました。国家資格である薬剤師、国に資すべき職種として、医薬分業における我が国固有の存在理念が存在しないという事は何より衝撃的ですし、多くの薬剤師が認めがたいことだと思います。
しかしながら、我が国における現代の医薬分業とは、日本固有の理念や概念ではなく、経済的利権の追求と、日本の医療が欧米化したために、形式上、その存在が必要になったといことなのです。よく欧米の薬剤師は…と日本の薬剤師を比較することを目にしますが、そもそも欧米の薬剤師の存在理念と我が国の薬剤師の存在理念とが全く異なっているにも関わらず、僕のように、それを医薬分業体制が生み出した薬剤師のあり様という思想そのものが錯覚であるという事に気づいていないという現状もあるのではなかろうかと思います。このように相対化することこそ、固有の理念を有していない我が国の薬剤師を象徴しているのだと感じます。
繰り返しますが、医薬分業のメリットとともに薬剤師の存在意義を唱えるという事は、本来の存在理念が無いにも関わらず後付けの理由でその存在を確かめ合っているに過ぎません。だからと言って、僕は医薬分業が不要だとか、薬剤師の存在意味なんてないと言っているわけでは全くありません。医薬分業体制における薬剤師の存在理念は日本古来の医療という概念の中には見つけることがどうしてもできない。だがしかし、そういった背景を理解し認識することは非常に大事だと言いたいのです。今後、僕らが目指す先がどこにあるのかと言うよりはまず足元がどうなっているのかよく知ることが大事です。そしてどんな時も、前に進むためには足元から整えていく必要があるのだと思います。

[辺境を生きる薬剤師]
内田樹先生は日本辺境論(2009年 新潮新書)で「本当の文化は、どこかほかのところで作られるものであって、自分のところのは、なんとなく起こっているという意識」に支配されていると述べています。歴史的にみても、冊封制に代表されるように、日本は中華思想の「辺境」位置しており、意識的か、無意識かは分かりませんが、日本人はその辺境性をフルに活用してきたと言えます。すなわち、大陸文化のような外来の優れた概念をモディファイすることにはずば抜けて長けているが、日本建国の独自の精神や理念なるものがあるわけではない。そしてそれが辺境に位置する辺境人であるがゆえに許されてきました。
世界標準を目指して常に新しいものを取り入れ、それをモディファイすることで発展を遂げてきた日本人は独自の理念と言うものよりも、常にあたりを見回しながら、お手本となるような認識を探し求めています。むしろ独自の理念を持とうとする発想がないという事そのものが日本人であるのかもしれません。「他の国がこんなことをしているから、うちもすべきである。」とか「他の会社がやってるから、うちもやらざるを得ない」とか…。そういった相対的思考のもとで僕らは生きているのです。世界標準に準拠することはできるが、世界標準を設定することが往々にしてできないのが日本人であるという事をあらためて知ることは大変重要です。

[辺境人であることを利用しつつも足元から見つめ直す]
そういったことを踏まえると、医薬分業体制のもとで薬剤師として独自の理念を持って行動せよ、というのはいささか無理があるのかもしれません。常に欧米の薬剤師や臨床医と比較しながら、その行動スタイルをモディファイし取り入れることが悪いとは言いません。むしろ効率よく学ぶことができるのがそのメリットでもあるのです。そういった「辺境人」を自覚することにより、必要としているのは「ロールモデル」に他ならないという事が明確になってきます。重要なのは薬剤師的なモディファイをどう行っていくか、そういった認識をめぐる問題の方が重要な気もします。

ただ僕が思うのは形式上でも医薬分業が進み、この国に薬剤師なるものが存在するからには、薬を扱うものとして、薬についてのプロフェッショナル、でありたいと思います。そして辺境人であることを利用しつつも、調剤報酬の枠組みの惑わされることなく、薬についてのプロフェッショナルという薬剤師の基本的な部分、そう足元の整理からゆっくり始めることで、薬剤師がさらなる“医薬分業”を生み出すことを目指して行きたい、そう思うのです。

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