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2012年8月25日土曜日

急性虚血性脳卒中のアウトカムをスコアで解釈する

急性虚血性脳卒中の臨床試験論文ではそのアウトカムにスコアを使用することが多く
スコアそのものを理解していないと、論文の結果を解釈しづらいことも多いと思います。

以下は個人的に今まで読んだ論文のアウトカム採用されたスコアです。
集中治療における脳卒中治療論文を読む際の参考になれば幸いです。

(1)modified Rankin ScalemRS
Prognosis. Scot Med J 1957; 2: 200-215
Stroke 1988;19:604-7
慢性期において脳卒中による障害を評価するスケール。

0:まったく症状なし
1:症状はあるが特に問題となる障害なし(通常の日常生活および活動はすべて可能)
2:軽度の障害(以前の活動のすべてはできないが,自分のことは介助なしにできる)
3:中等度の障害(一部介助を必要とするが,介助なしに歩行できる)
4:比較的高度の障害(介助なしに歩行や日常生活を行うことは不可能)
5:高度の障害(寝たきり,失禁,常に看護や注意を必要とする)
6:死亡

(2)National Institutes of Health stroke scaleNIHSS
Stroke 2001;32:1310-7
脳卒中急性期の重症度評価法で各項目の合計点数が大きいほど重症

意識レベル(質問)
 02問とも正答,11問正答,22問とも誤答
意識レベル(従命)
 0:両方の指示動作が正確に行える,1:片方の指示動作のみ正確に行える,
2:いずれの指示動作も行えない
注視
 0:正常,1:部分的注視麻痺,2:完全注視麻痺
視野
 0:視野欠損なし,1:部分的半盲,2:完全半盲目,3:両側性半盲
左腕
 010秒保持可能(下垂なし),110秒以内に下垂,2:重力に抗するが10秒以内に落下,
 3:重力に抗する動きがみられない,4:まったく動きがみられない
右腕
 010秒保持可能(下垂なし),110秒以内に下垂,2:重力に抗するが10秒以内に落下,
 3:重力に抗する動きがみられない,4:まったく動きがみられない
左脚
 05秒保持可能(下垂なし),15秒以内に下垂,2:重力に抗するが5秒以内に落下,
 3:重力に抗する動きがみられない,4:まったく動きがみられない
右脚
 05秒保持可能(下垂なし),15秒以内に下垂,2:重力に抗するが5秒以内に落下,
 3:重力に抗する動きがみられない,4:まったく動きがみられない
感覚
 0:正常,1:異常
言語
 0:正常,1:軽度の失語,2:高度の失語,3:無言,全失語
無視
 0:正常,1:軽度の無視,2:高度の無視

(3)Barthel Index
Md St Med J 14: 61-65, 1965
日常生活動作(ADL)の評価指標。10項目について0-15点で採点。
すべて自立していれば100点,すべて介助してもらっていれば0
カッコ内は点数(自立、部分介助または一部可能、全介助または不可能)の順
*食事(10,5,0)
*車椅子からベッドへの移乗(15,5-10,0)
*整容(5,0,0)
*トイレ動作(10,5,0)
*入浴(5,0,0)
*歩行(15,10,0)(車はこの場合は5,0,0
*階段昇降(15,10,0)
*着替え(15,10,0)
*排便コントロール(15,10,0)
*排尿コントロール(15,10,0)

2012年8月11日土曜日

スタチンと糖尿病発症リスクという問題に思うこと。

スタチンと糖尿病リスクについてJUPITER試験のデータを用いた解析論文が報告されています。
Cardiovascular benefits and diabetes risks of statin therapy in primary prevention
: an analysis from the JUPITER trial
The Lancet, Volume 380, Issue 9841, Pages 565 - 571, 11 August 2012
スタチンと糖尿病リスクについては過去にメタ分析が出ています。

まずJUPITERについて簡単にまとめます。
Rosuvastatin to Prevent Vascular Events in Men and Women
 with Elevated C-Reactive Protein
N Engl J Med. 2008; 359: 2195-207

P:LDL-Cは正常ながらCRP値が高い症例17,802例(平均年齢66歳)
E:ロスバスタチン20mg/日投与(8901例)
C:プラセボ(8901例)
O:一次エンドポイント:複合心血管イベント初発。
(致死的心筋梗塞,非致死的脳卒中,
不安定狭心症による入院,血行再建術,心血管疾患死)

多施設2重盲検ランダム化比較試験
intention-to-treat解析、追跡期間:1.9

一次エンドポイント
HR0.5695%CL0.460.69p0.00001
全死亡: HR 0.800.670.97, p0.02

この試験でも糖尿病発症リスクが指摘されていました。
医師が報告した糖尿病発症270 vs 216例(P0.01)。

このJUPITER試験におけるスタチンの心血管系ベネフィットと
糖尿病発症リスクを検討したのが本論文です。

糖尿病のリスクファクターによる分類でそのリスクを検討しています。
1つ以上の糖尿病リスクファクターを有するトライアル参加者11508例では
主要リスク要素もたない参加者6095例より糖尿病発症リスクが高いとされています。

1つ以上のリスクファクターを有する患者
*プライマリアウトカム   HR 0·610·47—0·79
*血栓塞栓症        HR 0·64,0·39—1·06
*総死亡              HR 0·830·64—1·07
*糖尿病発症          HR 1·281·07—1·54

主要リスク要素もたない参加者
*プライマリアウトカム   HR 0·48(0·33—0·68)
*糖尿病発症          HR0·990·45—2·21

スタチンの使用で糖尿病診断までプラセボと比較し5.4週ほど早める可能性がある
 5·4 weeks (84·3 [SD 47·8] weeks on rosuvastatin vs 89·7 [50·4] weeks on placebo).

一次予防におけるスタチン使用は問題点こそあるものの、
心血管ベネフィットがリスクを上回るものではないと結論付けています。
同じような結論は「スタチンのリスクベネフィットに関するperspective
 N Engl J Med 2012; 366:1752-1755でも述べられています。

日本人の心疾患リスクというの潜在的に欧米に比べても多いというわけではないと思います。
MEGAstudyLancet 2006;368:1155)のデータからそのリスクを見直すと
心筋梗塞年率0.16%、 狭心症年率0.5%です。欧米のそれに比べても
非常に低リスクといえます。したがってすべての日本人が、
スタチンを使用してまで心血管イベントのリスク減少を
目指すことに意義があるかどうかということは熟慮しなくてはいけないと思います。
付け加えれば本当に問題なのは、スタチンの心血管ベネフィットと
糖尿病リスクではないような気がします。
もちろんスタチンのリスクベネフィットを考慮することは必須ですが、
日本人においては特にそのベネフィットとコスト、患者の負担、
その他リスクを考慮せねばいけないと思います。
糖尿病リスクが強調されていますが、日本人において
その問題の本質は糖尿病リスクではないかもしれません。
もちろん、それも無視はできませんが、
脳内出血リスク、横紋筋融解症リスク、コスト、まだまだたくさんあると思います。

2012年8月7日火曜日

医学論文の抄録は臨床試験の正しい解釈を反映しているのでしょうか?


臨床試験では対象患者に、どのような介入をして、何と比較して、どのような結果が出たかを分析しますが、その研究の結果をアウトカムなどと呼びます。一つの研究で統計的に最も信頼できるのが1次アウトカムです。仮説を検証する場合、1次アウトカム以外のアウトカムは偶然の影響を受けやすく、信頼性は低くなります。したがって医学文献を読む場合、1次アウトカムの結果で、その研究を評価すべきなのです。

論文には抄録という形で、その内容が簡潔にまとめられています。ランダム化比較試験、やメタ分析をはじめとする、臨床試験論文にはその研究の結論が抄録の最後の「Conclusions」に記載してあるケースが多いです。

1次アウトカムの結果と、論文抄録の結論の内容が一致しているか、ということですが、ここに重大な問題が過去に指摘されていました。
Accuracy of Data in Abstracts of Published Research Articles
JAMA. 1999;281(12):1110-1111
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=189139

論文のアブストラクトは多くの人に読まれる機会が多く、研究内容の正確な実態がアブストラクトに反映されているかというのは重大な問題です。6つの一流医学雑誌で掲載された本文の研究記事とアブストラクトの結論に相違がないか評価した報告です。評価した医学誌は(Annals of Internal Medicine, BMJ, JAMA, Lancet, and New England Journal of Medicine)の6誌です。これら医学誌の本文(テーブルと図を含む)の内容中の対応するデータとアブストラクトの結論がいずれも一致しなかったか、本文で見つからなかったデータを含んでいた場合、アブストラクトは、不十分であるとして、その不一致率を算出しています。各医学誌の名前はA~Fと伏せられています。

(抄録の結果と本文の結論の不一致率)

医学誌A:18%(95CI6-30
医学誌B:43%(95CI29-58
医学誌C:30%(95CI16-43
医学誌D:45%(95CI30-59
医学誌E:32%(95CI18-45
医学誌F:68%(95CI54-82

 少し古い報告ではありますが、68%も不一致があるということは抄録の結論の半分以上は本文の結果と一致していないということになります。たとえ抄録であっても1次アウトカムの結果は明確に記載してあると助かりますね。むしろ1次アウトカムが明確でない論文は読まなくても良いかもしれません。

最近ではこんな報告もあります。
Reporting and Interpretation of Randomized Controlled Trials With Statistically Nonsignificant Results for Primary Outcomes
JAMA. 2010;303(20):2058-2064
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=185952

一次アウトカムに有意差が認められなかった臨床試験論文における結果のすり替えに関する報告です。なかなか衝撃的です。
200612月に発表されて20073月までにPubMedに収載されたランダム化比較試験論文のうち一次アウトカムで有意差が確認できなかった研究の72論文において、結果や考察または結論が歪曲表現ではなく正しい解釈になっているかを検証しています。

(抄録)
タイトルに歪曲     :13論文(18.0%;95% CI 10.0%-28.9%
Result
に歪曲      :27論文 (37.5%; 95% CI, 26.4%-49.7%)

Conclutionに歪曲   :42論文 (58.3%; 95% CI, 46.1%-69.8%)
治療効果のみに言及 :17論文 (23.6%; 95% CI, 14.4%-35.1%)

(本文)
Resultに歪曲     :21論文(29.2%; 95% CI, 19.0%-41.1%),
Discussionに歪曲  :31論文(43.1%; 95% CI, 31.4%-55.3%),
Conclutionに歪曲  :36 論文(50.0%; 95% CI, 38.0%-62.0%)
2つ以上のセクションに歪曲:40%以上


 具体的な歪曲内容は,二次エンドポイントで差が生じたことを強調したり、差がないことをいつの間にか効果が同等だとすり替えたり、群間比較なのに治療群の前後比較で効果を強調したり、危険性について言及していない等など・・。このように 臨床試験論文には都合の良い解釈が頻繁に見られるということのようです。

 最後に私自身が、論文を都合よく解釈した例を紹介します。まだEBMの勉強を始めたころ、
Long-acting beta-agonists with and without inhaled corticosteroids and catastrophic asthma events. Am J Med. 2010 Apr;123(4):322-8.e2. Epub 2010 Feb 20
http://www.amjmed.com/article/S0002-9343(09)01110-3/abstract
という論文に出合いました。この論文、長時間作動型β刺激薬を3ヵ月以上使用すると、
ステロイド吸入の有無にかかわらず喘息関連死亡や気管内挿管が2.1倍増加するという結論OR:2.10(95%CL 1.37-3.22)で大変衝撃的でした。メタ分析に使用されたChest. 2006 Jan;129(1):15-26.という論文に結果が大きく引きずられていると解釈し、このRCTを読んでみました。The Salmeterol Multicenter Asthma Research Trial: a comparison of usual pharmacotherapyfor asthma or usual pharmacotherapy plus salmeterol Chest. 2006 Jan;129(1):15-26.
http://chestjournal.chestpubs.org/content/129/1/15.long

 サルメテロール対プラセボでプライマリエンドポイントである呼吸器関連死,致死性イベント (気管内挿管および機械換気) のいずれか をランダム化比較試験で検証したトライアルです。プライマリエンドポイントに有意な差はつきませんでした。有害事象として
呼吸器関連死(RR 2.161795%CI 1.05994.4130)が増加していました。
 さらにサブ解析をみると呼吸器関連死や喘息関連死はアフリカ系アメリカ人では有意差がついているものの、白人では有意差が付いていませんでした。アメリカの経済事情、保険制度、格差などの影響があるかもしれない、さらに日本人ではどうかわからない、喘息発作の無い生活というQOLをアウトカムにした場合、LABAの長期使用にも意味があるかもしれないと、考えました。

この時、教えていただいたのは「副作用のエビデンスについては、確実なものでなくても、代替療法がある限り、できるだけ臨床に反映させるべきだ」ということです。死亡という取り返しのつかないアウトカムを無視すべきではないということでした。そして「サブグループ分析を都合よく解釈するのは問題があり、サブグループ分析結果は、あくまでも仮説生成として考えるということが重要だということ。たとえばアフリカ系アメリカ人だけで危ないというのは仮説であって検証された結果ではないということ」を教えていただきました。

ランダム化比較試験においてサンプルサイズをあらかじめ設定し症例を集めてもサブ解析で細分化してしまっては統計的検出力が不足します。また層別で分けてしまってはせっかくのランダム化が保障されず、ベースラインが偏っている可能性があります。要するに研究で検証できる仮説は1次エンドポイントだけであり、サブ解析や2次アウトカムは仮説を提唱・探求するオマケであることを忘れてはいけません。

こんな論文もあります。BMJ. 2011;342:d1569. doi: 10.1136/bmj.d1569. 製薬企業がスポンサーの臨床試験では、1次エンドポイントがネガティブ場合はサブグループ解析結果を慎重に解釈すべきという報告です。

最近の医学誌ではその報告の質も改善してきているようですが(BMJ. 2012 Jun 22;344:e4178. doi: 10.1136/bmj.e4178.)安易に論文の結論だけを読んでいると、都合の良い解釈をしてしまう危険をはらんでいます。原著論文の批判的吟味に深入りしすぎるのもまた問題ですが、「妥当か、結果は何か、それは役に立つか」というステップは、忘れないようにしたいものです。そして論文を都合よく解釈しないよう気おつけねば、と思います。

2012年8月5日日曜日

自分が死ぬであろう”地域”が意識できているか?


孤独死。東京都のデータですが、孤独死は全体としてその件数は上昇傾向にあるといえます。


ただ孤独死の割合でみると、その数は上昇も減少もしていません。資料を見ても、一人暮らしの人1000人年あたりの孤独死率は平成2年から平成17年にかけて変化していないことが分かります。要するに東京都の場合ですが、孤独死数は増加しているが、割合でみると増加しているとは言えない可能性があるのです。

孤独死は問題でしょうか。「孤独死」=「一人で息を引き取る」=「悲しい出来事」なのでしょうか。難しい問題ですが、一人で死にたいと思う人もいるかもしれません。価値観の問題もあるでしょうし、孤独を寂しいとか、つらいと感じる人もいればむしろ孤独でありたいと願う人もいると思います。多種多様な価値観の中でこの問題は取り扱わねばいけないのだと感じます。

ただ、これだけクローズアップされるのはやはり地域社会において、人と人とのつながりが希薄になり、その中で孤独死というテーマを結びつけているような気がします。無縁な社会、そのような現実が孤独死を“問題”として浮き上がらせているのかもしれません。

地域という交流の場を考えたとき、居住地と職場というのは密接な関係を持っていたのではないかなと思います。現在、私の職場近くの地域商店街はその姿を消し、活気のあっただろう商店街には人の姿がなく、むなしくシャッターの閉まった店が並んでいます。

大型ショッピングモールや集合住宅がどんどん建設され、労働者は自分の居住地から離れた勤務先まで通勤します。日中は職場であわただしく時間が過ぎ、とても居住地の地域での世代間交流はままなりません。帰宅すれば、夜遅く、誰とも会話の無いまま床に着く。そんな日々が続きます。休日の買い物は自宅近くの商店街ではなく、少し離れたショッピングモールで、必要なものを必要最低限の会話で購入します。

世代間交流はおろか、同世代でも交流は確実に変化しています。インターネットの普及によるメールやソーシャルネットワークサービス。それはとてもいい面もあります。ただやはり、人と人の対面での関わり合い、とくに今自分が住んでいる地域での関わり合いは少なくなってきているような気がします。また家族内でのコミュニケーションも核家族化、少子化の影響は免れないのでしょうか。

職場でのコミュニティで円滑に人間関係を形成したとしても、その後定年を迎え、自分が住んでいる地域での世代間交流というものをあらためて考えた時、自分はどうだろうと考えさせられます。そして死を迎える、その時、自分はひとりなのか、そうでないのか。一人がいいのか、そうでないのか、今の自分には想像もできないというのが現実です。

ただ、「自分が死ぬであろう“地域”が意識できているか」どうかで、何か変わる気がしました。いずれ人は死ぬ。その時住んでいた“地域”で自分がどのようにかかわってきたかということが、孤独なのか、そうでないのか、孤独がいいのか、そうでないのか、孤独死を取り扱う時の重要な要素になる気がしたのです。そして地域にかかわる医療者として、この問題は避けて通れないことだと感じています。

2012年8月1日水曜日

薬剤師のEBMとSackettの“F”


患者ごと個別の真のアウトカムを想像できなくては何も始まらない、私はそう思います。そして薬剤師が関与するのは少なくともその薬物療法が、真のアウトカムと大きく逸脱していないかということを明確で妥当な根拠をもとに判断することにあるのではないかと考えています。それによって、多くの選択肢を示しつつ、患者の自己決定の支援ができることが重要かもしれないと思うのです。そういう意味での薬剤師として診療支援というスタンスを保ちたいと考えています。

ただ薬局薬剤師が得られる患者情報はあまりにも少ないです。薬剤師はやはり、患者が自己申告した病名に対する指導というよりは、まず処方医師の治療方針の尊重を基本に、薬物療法に関して明らかなリスクがないかを判断し、安易に患者から聞いた病名をもとに治療方針から逸脱するような指導はするべきではないことを改めて認識しておかなければいけません。患者の自己申告という限られた情報や明確な根拠に基づかない情報から安易に臨床判断すべきでないとあらためて認識したいと思います。EBMはまず「PECO」から始めよと、そのように教えていただきました。その「P」を患者の自己申告で設定してはいけないということです。その先すべての行為が間違った方向に進む可能性があります。では薬局薬剤師にEBMの実践はとうてい無理なのでしょうか。

処方どおりに調剤していればそれでよいのか・・ずいぶん悩みました。限られた患者情報の中でどのように自分の業務を遂行すべきか模索した先にEBMがありました。少なくとも患者に”薬物治療において”害を与えないという観点からEBMを意識することは、有用だと考えています。明らかにリスクが上回る薬物療法は是正しなければいけないという思い、エビデンスを根拠に持つことで、少ない情報の中でも自分の立ち位置が見えてきたように感じます。処方に対し、薬学的判断から疑問に思い、疑義照会するという一連の行動、そこにEBMの概念は強力な武器となる気がします。ただ、問題はエビデンスの取り扱い方ということを最近よく考えています。

エビデンスを用いて、患者や処方箋とむきあうと患者の役にたっているかのような錯覚を起こすこともあります。だから、自己満足ができてしまう。エビデンスプラクティスギャップ、ここをいかに埋めるか。これは重要な課題です。例えばある慢性疾患治療薬の心筋梗塞に対する一次予防の結果がNNT(治療必要数)が200だとしたら、数字的にはあまりインパクトがないでしょう。これに年齢や血糖値、生活習慣(タバコ、アルコール、偏食)など様々な患者ごとのリスクが重なることでNNT2ケタまで低下する可能性だって否定できないのです。NNT・・これにも信頼区間を記載した良心的な論文はありますが、要するにNNTのみをうのみにすると、大きな間違いを起こすかもしれません。論文中のNNTはあくまでサンプルの平均的な数値であり母集団においては明らかにハイリスク者ではNNTは小さくなる可能性があるということを忘れてはいけません。

医療者が「正しい治療を施していても、正しいことをしたがらない患者がいる」というのをエビデンスプラクティスギャップと主張する方もいらっしゃいますが、私はこのような状況の一部を「根拠によりゆがめられた医療」と考えます。すべてがそうだとは言いませんが、エビデンスの安易な思い込みを正しい医療と認識し、それを患者に適応するという事態は少なからず存在していると感じます。NNTが少ない、相対危険率が統計的に有意であるなどというデータが今、目の前の患者全てに当てはまるとは限りません。一方でエビデンスの批判的吟味のこだわりすぎて、薬剤=悪という思考停止もまた問題です。ここで重要だと思うのは、患者の自己決定を促せるよう、妥当性の高い根拠に基づくリスク・ベネフィットに関する説明はすべきかもしれないし、いくつかの選択肢を示しつつ、自分が最良だという判断をレコメンドすることは重要なのではと感じています。ただ薬剤師の立場としては、限られた情報をもとに安易な説明をするのではなく、処方医との連携が重要です。少々うるさいと思われても、生意気だと言われても、薬剤選択のレコメンドは処方医師に対してすべきかもしれません。

そもそもイベントに対する統計学的に有意な差があるということと、そのイベントの発生という現象自体をどう想像するかで、感覚的な相対危険率も大きく変化するのではないでしょうか。意外と患者にとってはこちらのほうが重要だったりすることもあるのではと思っています。そんな時思い出すのが“SackettF”です。

「(目の前の患者のNNT)=(論文中のNNT / "F"」。"F":目の前の患者の論文の平均的な患者に対するイベントリスク。

Evidence based medicine is not "cookbook" medicine.(BMJ. 1996 Jan 13;312(7023):71-2)
考えるほどに、難しい問題だ、EBM。いやいや、EBMと軽々しく言うのはよそう。