ヒトは特定の関心にとらわれている。
歩行様式を考えてみると、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に見せられ、感じさせられ、考えさせられているということがあらためてわかります。
明治時代以前の日本人は「ナンバ歩き」 http://t.co/ipE7haQm という歩行様式をしていたという。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2694dir/n2694_04.htm
というお話から学んだことなのだけれども。
EBMの手法でその薬剤を勉強してみると意外な落ちが現れたのです。
ある薬剤は症状は改善するけど死亡リスクは増えるとか
またある薬はほとんど効果らしきものは無かったり
そもそもこの薬剤同士の併用自体が無意味なのでは、などなど。
そう、当たり前だと思っていた薬物治療そのものに落とし穴があるとおもいます。
薬剤を服用させることが、治療なのだと確信することに落とし穴あるのです。
「副腎に求めよ」という言葉が私の薬剤師人生を大きく変えたことは間違えありません。
もう一段掘り下げると、医療という構造が見え隠れしてきます。
医療、それを科学的、非科学的という軸で考えてみると。
医療行為が科学的ではない場合に、それは宗教や詐欺と区別できるか?
ある治療が科学的根拠を失った場合、それは宗教行為か?それとも治療という名の詐欺行為か?
少なくとも、それを判断できる能力はまだ私には備わっていません。
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